猪木の全盛期は? |
果たしてアントニオ猪木の全盛期とはいつだったんだろうか?
トップレスラーに成長してからの猪木を大きく分類すると
①東京プロレス~昭和44年ワールドリーグ優勝まで
②昭和44年~46年までのBI両立時代
③昭和47年~48年新日本黎明期
④昭和49年~50年大物日本人対決期
⑤昭和51年~53年異種格闘技戦全盛期
⑥昭和54年~56年WWFとの蜜月期
⑦昭和57年~60年糖尿病闘病期
⑧昭和61年~62年世代闘争期
⑨昭和63年~平成元年引退前夜期
多くの猪木ファンは③から⑥ぐらいまでが全盛期と言うと思います。
もっとコアなファンだと「実は日プロ時代が全盛期」
という方も居るでしょうし、「アリ戦までが全盛期」という人も
いらっしゃるでしょう。
まず肉体的という観点で言えば確かに日プロ時代の猪木の方が
身体はゴツく、厚みがあります。
新日本になってからはトレーニング法が変わったのか、しなやかな
感じに変貌しました。
③~⑤の時期のビデオを見ると意外にほっそりしてるのがわかります。
しかし、シュートと言われていた昔のレスラーを見るとこういう体型の
レスラーが多いんですね。現代の格闘家だとノゲイラとかホイス、
全盛期の桜庭なんかもそういう体型ですね。
多分、スタミナがあってグラウンドに強いのはそんな体型なんでしょう。
では技術的にはどうか?と言うと日プロ時代の猪木はテクニシャンと
言いながら結構ドタバタしています(^^;。
一番顕著なのはドロップキックで昭和49年ぐらいまで正面飛びの
カッコ悪い飛び蹴りです。
グラウンドの捌きも昭和49年ぐらいまでは力に頼った攻めが
目立ちます。
シュートの実力というとプロレス内で見せるちょっとした動きや
格闘技戦、数少ないシュートマッチから推し量るしかないのですが、
やはりアリ戦、パクソンナン戦、ペールワン戦と一年間に
シュートマッチを3回もこなした昭和51年前後をピーク
と考えるのが妥当でしょう。
ここで視点を変えて衰えが見え始めたのはいつ頃からでしょうか?
猪木の場合、怪我が大きく影響していると思うので
大きな怪我をした時期がポイントになるでしょう。
まず猪木最初の長期欠場は昭和50年夏のウイルス性関節炎
ですがこの後、ロビンソン戦をこなして昭和51年に突入している
のでこれは無問題。
次に昭和51年の暮れのルスカ戦で首を痛め、明けた新春黄金シリーズ
で再度首を痛め、長期欠場に追い込まれています。
この辺からブリッジがきつくなったという説もあるのでひとつの
ターニングポイントかもしれません。
この頃から首以外の負傷も多くなりましたし。
更に53年にはペドロモラレス戦の前後に脊椎を痛め、かなりの
悪コンディションでバックランド戦を戦っています。
但し、この時期は60分フルタイムを2試合こなしてますから
まだまだスタミナはあったんでしょう。
しかし、この年の暮れ、欧州選手権シリーズで身体がボロボロに
なります。一説によると肩を脱臼したまま連日デートリッヒやボック
とシュート紛いの試合をこなしていたらしく、身体中ボロボロになった
そうです。
確かに帰国後のヒロマツダ戦、年明けのボブループ戦は精彩を
欠いていました。
こうして考えると昭和49年~51年の3年間が本当の全盛期だったと
考えられるんじゃないでしょうか。
たった3年ですよ。なんか検証していて悲しくなりました(^^;。
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コメント
投稿者:kimura 2006/4/12 5:38
強さを基準にして考えれば、やはり、アリ戦が行われた1976年あ
たりがピークだと思います。
そもそもアリ戦が興行的に成功し、目論見通り莫大なファイトマ
ネーを手にしていたら引退するつもりだった、と本人も話してい
ました。美意識の塊でもあったアントニオ猪木は、レスラーとし
て絶頂の時、最高最大の相手と闘って引退するという夢を描いて
いたんですね。
アントニオ猪木の体型の変化は、一選手としてトレーニングに専
念できた日プロ時代とそうでなくなった新日旗揚げ以降の状況変
化が大きいように思います。日プロ時代はでかい外国人と連日の
ように闘っていたこともあって、ウエイトもそれに合わせていた
のではないでしょうか(BI砲で馬場と並ぶことが多かったことも
関係あるのでは?)。新日本になってからはpasinさんの言う通
り、ファイトスタイルがシビアになった分、スタミナを重視して
身体を絞ったんでしょう。新日の道場が猪木シンパの選手だけで
運営されるようになって筋トレ中心からスパーリング中心へ移行
したことも体型変化の大きな理由ではないでしょうか。
78年の欧州遠征は本当に過酷だったようです。
22日間に20戦というスケジュール。しかも、いずれも約束事のな
い試合。肩を脱臼したまま、いつシュートを仕掛けられるかわか
らない試合を連日こなし、結局、最終戦のボック戦まで負けなし
で消化した当時の猪木の強さは驚異的です(12勝1敗7引き分
け)。ロビンソン戦からアリ戦、そしてこの頃までがアントニオ
猪木の全盛期(75年~78年)。私はそう見ています。
投稿者:pasin2006/4/12 23:23
>kimuraさん
アリ戦で引退していたら私は猪木さんのファイトを目にすることも無かったわけで、
こんなブログをやる事も無かったんでしょうね(^^;
>猪木の体型
やはりゴッチの影響でトレーニング方法が変わったのが大きいんでしょうね。
新日初期の道場は体力作りも縄登りとかコシティとかスクワット中心だったようですし。
その頃のスパーリングは見てみたかったです。
>欧州遠征
実はこの遠征が今一番知りたい謎です。
ボック戦以外映像は残っていないうえ、
決まり手は当時のプロレスらしからぬ逆腕固めで
あったり、セメント臭さがプンプン匂ってきます。
この遠征を経て「誰にも潰されない自信がついた」
と猪木さんが豪語しているのも想像が膨らみますね。
>アントニオ猪木の全盛期(75年~78年)
なるほど。私も53年を入れるかどうかは悩んだところです。
実際、リアルタイムで見ていて52~54年ぐらいまで衰えは感じなかったですし。
下り坂かな?と思い始めたのはハンセンに振り回されはじめる55年からですね。
確かゴングでもこの頃「蘇れ燃える闘魂」みたいな記事が組まれていた記憶があります。
投稿者:ねこギター 2006/4/13 0:51
pasinさん、こんばんは。
リンクありがとうございました。
「ねこギター」の方からもこちらのリンクさせて頂きました。どうぞよろしくお願いします。
日本プロレス時代と新日本になってからの体型の違い。私は別の推理をすると、倍賞美津子さんの影響があったと考えるのです。プロとして常にファンに格好良く見られることの大事さを倍賞さんがアドバイスしたのではないかと。猪木さんは自宅の鏡で自分の肉体を長時間見ていたという話があります。その時の猪木さんの言い訳はすぐお腹が出るから気を付けているんだでした。
肉体的な強さは、ブリッジの強さというイメージが私にはあります。そういう意味でやはりハンセンの頃はもう下り坂ですよね。
ただ格闘技戦を体験することで、テーズやゴッチにはないものもあるんじゃないかと思うんですが。
ヨーロッパ・シリーズや2度目のパキスタンとか興味ありますね。猪木さんぐらいの地位にあれば、普通ああいう危ないことはしないと思うんですが行っちゃうんですね。
http://ww71.tiki.ne.jp/~doro/
投稿者:kimura2006/4/13 12:23
猪木さんは自分の見かけの美しさや格好良さについては、とても
気にしていたようです。
引退記念公式写真集(INOKI/原悦生氏撮影)を編集した時、
「猪木さんが引退を意識し始めたのはいつ頃ですか?」という質
問をするとこういう答えが返ってきました。
「原君が撮ってくれた、リングで両拳を突き上げた背中の写真が
あるんだけど、それを見た時かもしれない。自分の肉体からしな
やかさが失われて、筋肉が硬直し始めている現実を初めて知った
瞬間だった」
80年代初めから半ばに撮られた写真だと思われますので、おそら
くは40歳前後の頃。糖尿病発症以降は、とくに肉体の衰えには敏
感になっていたのでしょう。
話は変わりますが、昔、プロレスを引退した直後に佐山さんがテ
レビ出演してこんな事を話していた記憶があります。
「猪木さんが本当に強かったのは40歳までです」
糖尿病発症とアントンハイセルの借金に追われた時期も同じ。そ
の辺りを契機にアントニオ猪木の強さが失われたのは間違いない
ですね。それに、UWF、ジャパンプロレスの離脱も、猪木の衰え
と無関係ではなかったでしょう。プロレス団体の秩序は、元々は
道場で作られていたわけですから。
投稿者:pasin2006/4/13 23:06
>ねこギターさん
>倍賞美津子さんの影響
これは大きいですよね。試合中の表情、目線の置き方、ガウンの脱ぎ方・・・
実はテーズ、ゴッチに匹敵するぐらい影響があったんじゃないかと思います。
昔、アントンリブの近くでお二人を見かけたことがあります。
二人ともオーラが凄くて近づくのもままならない雰囲気でしたが
凄く良いムードでまさに理想のカップルでした。
やっぱりプロレスラーたるもの一流の女優と付き合って欲しいものですね。
投稿者:pasin2006/4/13 23:29
>kimuraさん
背中の筋肉ですか。
猪木さんがそこまで見栄えに意識的だったとは知りませんでした。
いやあ木村さんのお話は宝の山ですね♪
>「猪木さんが本当に強かったのは40歳までです」
やはり格闘家にとって糖尿病というのは大ダメージなんですね。
アントンハイセルが無ければそこで引退していたんでしょうが、
私は晩年の猪木さんの試合も好きなので複雑な心境です。