2006年 04月 15日
昭和51年という年 |
戦前ならいざ知らず、シュートマッチはレスラーにとってご法度なはず。
当然、めったにお目にかかれるものではありません。
現に平成に入ってから小川×橋本戦以外シュートマッチと呼べる試合は
行われていないはずです。
ところが、1年間にシュートマッチを3試合もこなした異端児がいます。
それはご存知アントニオ猪木。
相手がボクサーであったり、交渉不成立で試合が壊れたものだったり、
プロレスという認識があったのかさえ疑わしい国での出来事だったり
したわけですが、それでも1年間に3試合というのは異常だと思います。
某レフリーの暴露本では「猪木のシュートはアリ戦とペールワン戦だけ」
などと揶揄されていましたが、ほとんどのレスラーが生涯一度も行って
いないなか、1年間に2試合もこなしたことは凄いと思います。
何せあの鉄人ルーテーズでさえ本国で出版された自伝では
生涯シュートマッチは行ったことは無いと断言しているぐらいですから。
※件の暴露本では何故かパクソンナンとの初戦が外されていますが
関係者の複数の証言から、私はパク戦もシュートだったと認識しています。
アリ戦がシュートになったことについては、諸説入り乱れていますが
コーディネーターの康芳夫氏の証言からも、猪木側から持ちかけた
シュートだったのでしょう。
ダスティローデスの最近のインタビューで「猪木がNWAに挑戦
できなかったのはシュートだったから」というニュアンスの発言
がありましたが、これはアリ戦に端を発してるように思えます。
当時のアメリカンプロレスの感覚からしたら、「モハメドアリ相手に
シュートをするなんてイノキはキ●ガイか?」と思われても
不思議じゃないですよね(^^;。
又佐山聡によると「当時猪木さんは打・投・極を核とした
今で言う総合格闘技を立ち上げようとしていた」そうです。
それが実現していたらどんなものになっていたんでしょうね。
アリ戦の社会的、金銭的な失敗が無ければ実現していたかも
しれないだけに残念です。
いずれにしろ昭和51年という年は後の格闘技界に様々な種子を
産み落としたという意味で“シュート元年”と名付けたいですね。
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コメント
投稿者:kimura 2006/4/15 10:14
>シュート元年
確かに。プロレス・格闘技史的に見るとそうなるかもしれません
ね。
>シュートはアリ戦とペールワン戦だけ
某レフェリーの暴露本に書いてあることは、あくまでも〝著者の
知っている範囲では〟という注釈が付く事実です。通常、著者
(あるいは書かせる側)というのは、とくに暴露本の類いでは知
らないことは全く無視して素通りを決め込むか、あるいは知らな
いことでも知ったかぶりをして断定的に書くかのどちらかなので
す。その意味では、某暴露本の著者は知らないことについては
知ったかぶりをしないで避けて書いていますから案外真面目かも
しれません(笑)。といって、彼の知っていると思っている事実
もどこまでが本当かは疑問ですが。なにしろ、アントニオ猪木と
いう人は、新間氏や坂口征二氏さえリングで裏切ってみせたわけ
で、むしろ、あの著者がすべて知っていると考える方が不自然で
す。アントニオ猪木のシュートはリングだけじゃないですしね。
(つづく)
投稿者:kimura 2006/4/15 10:16
(つづき)
よく考えてみると、そもそもシュートをしたことのあるレス
ラーっていう定義が難しいですよね。プロレスでいわれていた
シュートの意味自体、昔と今では違うのではないでしょうか?
今は総合格闘技のようなガチンコ試合を主に指していると思われ
ますが、私はルールに則って勝敗を決している格闘技の試合は競
技であって、シュートとは別ものと解釈しています。その意味で
いえば、今の格闘家もほとんどシュートは経験していないので
は?
では、シュートとは何か? ということになりますが、端的に言
えば〝ケンカ〟でしょう。ただ、ケンカにも子供のケンカから命
のやり取りになるヤクザのケンカまでいろいろなレベルがあっ
て、プロレスにおけるシュートとは相手を〝潰す〟ことに他なら
ないような気がします。プロとして相手の商品価値を暴落させる
ような試合もシュートだし、文字通り、腕を折り、眼をえぐるよ
うな肉体的に致命的ダメージを与えて再起不能にするのもシュー
ト。〝勝ち負けを超えたものがプロレス〟とアントニオ猪木は
言っていますが、それは表現論だけでなく生々しい人間のやりと
りも含んだ言葉だと私は思っています。近代のプロレスは面倒を
避けて、その辺をブックとかいう単純な約束事にしてビジネスラ
イクに済ませようとして失敗し、本来、もっとも面白かった一触
即発の緊張感を失ってしまった。そういうことではないでしょう
か? 力道山は「プロレスはケンカだ」と言っていたそうです
が、それはシンプルながら本質をついた言葉そのものだったと思
いますね。
稿者:ねこギター 2006/4/17 1:54
私の解釈では、ルールをはみ出した攻撃がシュートだと思っていました。つまり競技者同士というより、人間個人対個人の闘いになってしまったもの。
テーズは、シュート・テクニックを隠しながら試合するのがプロレスだと自伝で言っていたと思います。
かって前田が長州の顔面蹴りでケガさせた事に対し、猪木が「プロレスラーにもとる行為」と発言して、前田が反発した経緯があったと思います。
「猪木さんが、かつてやったのは違うのですか」と。
プロレスの技は、ある意味矛盾したものを含んでいますね。必殺技と言いながら、それでケガしたら事故ということになります。
その辺のところがプロレスの深いところかなと考えています。日ごろ闘っているからこそ人間の肉体は壊れやすいものだと熟知している。それは死と隣合わせているということ。その上で、プロレスが成立しているんじゃないかと考えています。
投稿者:kimura 2006/4/17 8:23
昨晩、テレビでフリージャズ・ピアニストの山下洋輔さんと脳科
学者の対談を見ました。
山下さんはピアノの鍵盤にエルボーを食らわせるという掟破りを
最初にやった過激なピアニストとして有名ですが、脳科学者が、
そのきっかけについて尋ねました。
山下さんはこんなふうに答えました。
「フリージャズというのは、奏者同士、お互いにやりたいことを
思う存分やり合うというのがルール。自由が唯一のルールで、そ
れ以外には何も約束がないんです。でも、時には一方的に攻撃さ
れて何も返せなくなることもあって、このままではパワーで負け
ると思った瞬間、鍵盤に肘打ちを入れてました。一線を超えたと
思いましたね」
それを聞いて、私は、ああこれがシュートの瞬間だなと思いまし
た。
やっぱり、「プロレス=フリージャズ論」というのはかなり正し
くて、「お互いの自由を尊重することだけがルール」というフ
リージャズの掟は、まさにプロレスそのもの。逆に言えば、
シュートとは、その自由を侵された時、あるいは侵されそうに
なった瞬間の自己防衛。それは同時に、ルールに縛られない自由
をただの無秩序としないための制裁行為の意味もあったのではな
いかと、そんなふうに思った次第です。
アントニオ猪木が前田の顔面蹴りを許さなかったのは、それが自
分の自由だけを主張する行為だと感じたからではないでしょう
か。
投稿者:pasin 2006/4/17 11:14
>kimuraさん、ねこギターさん
最初にシュートの定義をしないといけなかったですね。
と言っても私自身定義しきれないんですが(汗
ここでいうシュートマッチとは「ブックの無い試合」の意味で使いました。
パクソンナン戦は微妙ですが、ヨーイドンでシュートマッチをやったレスラー
はこの当時、ほとんど居なかったんじゃないかと思います。
試合中に一線を超えていくシュートであればもっと頻繁に行われていたと思います。
G・アントニオ戦、ボック戦なんかがそうでしょうし、前田×佐山、アンドレなんかも
そうなんでしょうね。
>前田が長州の顔面蹴りでケガさせた事
これを猪木が批判したのは、よけようが無い体制で後ろから仕掛けた事を
「プロレス道に悖る」と感じたからではないでしょうか。
シュートを仕掛けるならちゃんと正面からやれよ、という。
実際、猪木はそうしてきた訳ですし。
ケンカに卑怯もへったくれも無いと前田は言うかもしれませんが、
後年、安生に後ろから殴られ失神という目に合ったのは因果応報でしたね。
投稿者:kimura 2006/4/17 13:43
>最初にシュートの定義をしないといけなかったですね。
いや、そうではなく、シュートの定義が定まらないという事が重
要なのではないでしょうか?
それが単純なはずのプロレスを複雑にしてきた機微であり、ブッ
クがあるかないかだけで簡単に括られてしまうプロレスとの違い
だと思います。
そう捉え直してみると、ストロングスタイルのプロレスの定義も
変わってきます。もしかすると、ストロングスタイルとは大なり
小なりシュートの要素を含む(許容している)プロレスだったの
ではないか? そんな気がしてきました。
投稿者:ねこギター 2006/4/17 20:34
シュートというとテーズのバックドロップを思い浮かべます。角度によって受身が取れるものや取れないもの、肩をケガされるものとテーズの意志によってコントロールされた技だったわけですね。(事故はコントロールされた技ではなかった時ですね)
プロモーターや双方のブックがあったとしても最終的にはレスラーの意志でどう変わるか分からない。
一つの試合の中でも、シュートの部分と予定調和的な部分とが含まれている。
そこに観る側としての想像力が広がります。
投稿者:pasin 2006/4/18 18:25
軽くネタフリのつもりが、「プロレスとは何か」という本質論まで突入してしまいましたね。
近々、稿を改めて私の持論というかネタフリをさせて頂きますので宜しくお願いします。
>ねこギターさん
>テーズのバックドロップ
テーズのバックドロップは通常型しか見た事が無いんですが、
猪木さんもデイトン戦では危険な角度で落としてますね。
デイトンは平気そうでしたが(^^;
>kimuraさん
>ストロングスタイルとは大なり小なりシュートの
>要素を含む(許容している)プロレスだったのではないか?
私もそう思います。
猪木さんの言う「プロレスには闘いが無いといけない」
「闘い」をシュートなせめぎあい=主導権争い
と置き換えるとなんとなく猪木さんの目指したプロレスが
見えてくるのではないでしょうか。
そしてこの部分こそが馬場プロレスとの決定的な相違点だったんじゃないかと思います。
当然、めったにお目にかかれるものではありません。
現に平成に入ってから小川×橋本戦以外シュートマッチと呼べる試合は
行われていないはずです。
ところが、1年間にシュートマッチを3試合もこなした異端児がいます。
それはご存知アントニオ猪木。
相手がボクサーであったり、交渉不成立で試合が壊れたものだったり、
プロレスという認識があったのかさえ疑わしい国での出来事だったり
したわけですが、それでも1年間に3試合というのは異常だと思います。
某レフリーの暴露本では「猪木のシュートはアリ戦とペールワン戦だけ」
などと揶揄されていましたが、ほとんどのレスラーが生涯一度も行って
いないなか、1年間に2試合もこなしたことは凄いと思います。
何せあの鉄人ルーテーズでさえ本国で出版された自伝では
生涯シュートマッチは行ったことは無いと断言しているぐらいですから。
※件の暴露本では何故かパクソンナンとの初戦が外されていますが
関係者の複数の証言から、私はパク戦もシュートだったと認識しています。
アリ戦がシュートになったことについては、諸説入り乱れていますが
コーディネーターの康芳夫氏の証言からも、猪木側から持ちかけた
シュートだったのでしょう。
ダスティローデスの最近のインタビューで「猪木がNWAに挑戦
できなかったのはシュートだったから」というニュアンスの発言
がありましたが、これはアリ戦に端を発してるように思えます。
当時のアメリカンプロレスの感覚からしたら、「モハメドアリ相手に
シュートをするなんてイノキはキ●ガイか?」と思われても
不思議じゃないですよね(^^;。
又佐山聡によると「当時猪木さんは打・投・極を核とした
今で言う総合格闘技を立ち上げようとしていた」そうです。
それが実現していたらどんなものになっていたんでしょうね。
アリ戦の社会的、金銭的な失敗が無ければ実現していたかも
しれないだけに残念です。
いずれにしろ昭和51年という年は後の格闘技界に様々な種子を
産み落としたという意味で“シュート元年”と名付けたいですね。
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コメント
投稿者:kimura 2006/4/15 10:14
>シュート元年
確かに。プロレス・格闘技史的に見るとそうなるかもしれません
ね。
>シュートはアリ戦とペールワン戦だけ
某レフェリーの暴露本に書いてあることは、あくまでも〝著者の
知っている範囲では〟という注釈が付く事実です。通常、著者
(あるいは書かせる側)というのは、とくに暴露本の類いでは知
らないことは全く無視して素通りを決め込むか、あるいは知らな
いことでも知ったかぶりをして断定的に書くかのどちらかなので
す。その意味では、某暴露本の著者は知らないことについては
知ったかぶりをしないで避けて書いていますから案外真面目かも
しれません(笑)。といって、彼の知っていると思っている事実
もどこまでが本当かは疑問ですが。なにしろ、アントニオ猪木と
いう人は、新間氏や坂口征二氏さえリングで裏切ってみせたわけ
で、むしろ、あの著者がすべて知っていると考える方が不自然で
す。アントニオ猪木のシュートはリングだけじゃないですしね。
(つづく)
投稿者:kimura 2006/4/15 10:16
(つづき)
よく考えてみると、そもそもシュートをしたことのあるレス
ラーっていう定義が難しいですよね。プロレスでいわれていた
シュートの意味自体、昔と今では違うのではないでしょうか?
今は総合格闘技のようなガチンコ試合を主に指していると思われ
ますが、私はルールに則って勝敗を決している格闘技の試合は競
技であって、シュートとは別ものと解釈しています。その意味で
いえば、今の格闘家もほとんどシュートは経験していないので
は?
では、シュートとは何か? ということになりますが、端的に言
えば〝ケンカ〟でしょう。ただ、ケンカにも子供のケンカから命
のやり取りになるヤクザのケンカまでいろいろなレベルがあっ
て、プロレスにおけるシュートとは相手を〝潰す〟ことに他なら
ないような気がします。プロとして相手の商品価値を暴落させる
ような試合もシュートだし、文字通り、腕を折り、眼をえぐるよ
うな肉体的に致命的ダメージを与えて再起不能にするのもシュー
ト。〝勝ち負けを超えたものがプロレス〟とアントニオ猪木は
言っていますが、それは表現論だけでなく生々しい人間のやりと
りも含んだ言葉だと私は思っています。近代のプロレスは面倒を
避けて、その辺をブックとかいう単純な約束事にしてビジネスラ
イクに済ませようとして失敗し、本来、もっとも面白かった一触
即発の緊張感を失ってしまった。そういうことではないでしょう
か? 力道山は「プロレスはケンカだ」と言っていたそうです
が、それはシンプルながら本質をついた言葉そのものだったと思
いますね。
稿者:ねこギター 2006/4/17 1:54
私の解釈では、ルールをはみ出した攻撃がシュートだと思っていました。つまり競技者同士というより、人間個人対個人の闘いになってしまったもの。
テーズは、シュート・テクニックを隠しながら試合するのがプロレスだと自伝で言っていたと思います。
かって前田が長州の顔面蹴りでケガさせた事に対し、猪木が「プロレスラーにもとる行為」と発言して、前田が反発した経緯があったと思います。
「猪木さんが、かつてやったのは違うのですか」と。
プロレスの技は、ある意味矛盾したものを含んでいますね。必殺技と言いながら、それでケガしたら事故ということになります。
その辺のところがプロレスの深いところかなと考えています。日ごろ闘っているからこそ人間の肉体は壊れやすいものだと熟知している。それは死と隣合わせているということ。その上で、プロレスが成立しているんじゃないかと考えています。
投稿者:kimura 2006/4/17 8:23
昨晩、テレビでフリージャズ・ピアニストの山下洋輔さんと脳科
学者の対談を見ました。
山下さんはピアノの鍵盤にエルボーを食らわせるという掟破りを
最初にやった過激なピアニストとして有名ですが、脳科学者が、
そのきっかけについて尋ねました。
山下さんはこんなふうに答えました。
「フリージャズというのは、奏者同士、お互いにやりたいことを
思う存分やり合うというのがルール。自由が唯一のルールで、そ
れ以外には何も約束がないんです。でも、時には一方的に攻撃さ
れて何も返せなくなることもあって、このままではパワーで負け
ると思った瞬間、鍵盤に肘打ちを入れてました。一線を超えたと
思いましたね」
それを聞いて、私は、ああこれがシュートの瞬間だなと思いまし
た。
やっぱり、「プロレス=フリージャズ論」というのはかなり正し
くて、「お互いの自由を尊重することだけがルール」というフ
リージャズの掟は、まさにプロレスそのもの。逆に言えば、
シュートとは、その自由を侵された時、あるいは侵されそうに
なった瞬間の自己防衛。それは同時に、ルールに縛られない自由
をただの無秩序としないための制裁行為の意味もあったのではな
いかと、そんなふうに思った次第です。
アントニオ猪木が前田の顔面蹴りを許さなかったのは、それが自
分の自由だけを主張する行為だと感じたからではないでしょう
か。
投稿者:pasin 2006/4/17 11:14
>kimuraさん、ねこギターさん
最初にシュートの定義をしないといけなかったですね。
と言っても私自身定義しきれないんですが(汗
ここでいうシュートマッチとは「ブックの無い試合」の意味で使いました。
パクソンナン戦は微妙ですが、ヨーイドンでシュートマッチをやったレスラー
はこの当時、ほとんど居なかったんじゃないかと思います。
試合中に一線を超えていくシュートであればもっと頻繁に行われていたと思います。
G・アントニオ戦、ボック戦なんかがそうでしょうし、前田×佐山、アンドレなんかも
そうなんでしょうね。
>前田が長州の顔面蹴りでケガさせた事
これを猪木が批判したのは、よけようが無い体制で後ろから仕掛けた事を
「プロレス道に悖る」と感じたからではないでしょうか。
シュートを仕掛けるならちゃんと正面からやれよ、という。
実際、猪木はそうしてきた訳ですし。
ケンカに卑怯もへったくれも無いと前田は言うかもしれませんが、
後年、安生に後ろから殴られ失神という目に合ったのは因果応報でしたね。
投稿者:kimura 2006/4/17 13:43
>最初にシュートの定義をしないといけなかったですね。
いや、そうではなく、シュートの定義が定まらないという事が重
要なのではないでしょうか?
それが単純なはずのプロレスを複雑にしてきた機微であり、ブッ
クがあるかないかだけで簡単に括られてしまうプロレスとの違い
だと思います。
そう捉え直してみると、ストロングスタイルのプロレスの定義も
変わってきます。もしかすると、ストロングスタイルとは大なり
小なりシュートの要素を含む(許容している)プロレスだったの
ではないか? そんな気がしてきました。
投稿者:ねこギター 2006/4/17 20:34
シュートというとテーズのバックドロップを思い浮かべます。角度によって受身が取れるものや取れないもの、肩をケガされるものとテーズの意志によってコントロールされた技だったわけですね。(事故はコントロールされた技ではなかった時ですね)
プロモーターや双方のブックがあったとしても最終的にはレスラーの意志でどう変わるか分からない。
一つの試合の中でも、シュートの部分と予定調和的な部分とが含まれている。
そこに観る側としての想像力が広がります。
投稿者:pasin 2006/4/18 18:25
軽くネタフリのつもりが、「プロレスとは何か」という本質論まで突入してしまいましたね。
近々、稿を改めて私の持論というかネタフリをさせて頂きますので宜しくお願いします。
>ねこギターさん
>テーズのバックドロップ
テーズのバックドロップは通常型しか見た事が無いんですが、
猪木さんもデイトン戦では危険な角度で落としてますね。
デイトンは平気そうでしたが(^^;
>kimuraさん
>ストロングスタイルとは大なり小なりシュートの
>要素を含む(許容している)プロレスだったのではないか?
私もそう思います。
猪木さんの言う「プロレスには闘いが無いといけない」
「闘い」をシュートなせめぎあい=主導権争い
と置き換えるとなんとなく猪木さんの目指したプロレスが
見えてくるのではないでしょうか。
そしてこの部分こそが馬場プロレスとの決定的な相違点だったんじゃないかと思います。
by pasinpasin
| 2006-04-15 17:15
| 格闘技・プロレス
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