2007年 05月 07日
「1976年のアントニオ猪木」を読んで |
最初に褒めておきますが、近年出たプロレス本では最高に
面白い本であること、単なる暴露本とは一線を画した上質の
ノンフィクションであることは間違いないです。
題材の面白さもさることながら、高い文章力のお陰で
一気に一晩で読みきってしまいました。
なのに読後感じる釈然としない感じ。
これはアリ戦に関する一連の記述が私の認識とかなり違って
いることに他なりません。
まず、この本では基本的なスタンスとして
「プロレス<格闘技(ボクシング、柔道etc)」、
「プロレス=道化」というものが根底にあるようで、
アリ戦に関しても徹底してそのスタンスで書かれています。
曰く「アリが真の闘いの中で数々の奇跡を行ってきたのに
対して、猪木はあらかじめ勝敗が決められた偽物の戦いの
中で幻想を生み出したに過ぎないのだ」
「アリは自分を罠にはめた猪木を正々堂々と叩きのめすこと
を決意した。きちんとしたルールの下にスポーツとして
戦おうと覚悟を決めた」
「アリはプロレスのバカバカしさが大好きなのだ」・・・
流石にちょっと言い過ぎだろ(^^;
また著者はアリ戦のルールは両者にとって“公平なルール”
だと“利害関係によって証言をコロコロ変える”新間氏の証言を元にぶち上げています。
ゆえにアリは騙まし討ちのリアルファイトを正々堂々と戦った
真に偉大なファイターと結論付けていますが果たしてそうなんでしょうか?
当時の6/24付東スポ(他のスポーツ紙は謎)では
「頭突き、肘打ち、膝蹴り禁止」
「後頭部、頚椎への攻撃禁止」
「膝を着いた状態以外での蹴りの禁止」
「ロープに触れた時点でロープブレイク」
等の変更点について論じています。
上記が正しいとすると本当に公正なルールなんでしょうか?
確かにレスラーの主武器であるタックルは許されていますが、
ロープブレイクのあるルールでは有利な体勢に入る前に
逃げられる可能性が極めて高いと思われます。
現にこの試合でアリはかなりの頻度でロープを背にしてます。
また13ラウンドでアリは猪木のタックルに対し、
ジャブをカウンターで合わす事に成功しています。
猪木のタックル技術が未熟だからと片付けることは簡単ですが、
アリほどのボクサーなら、藤田のタックルにもカウンターを
合わす事は可能であったかもしれません。
逆に言うと猪木はタックルが下手だった?から
結果的に引き分けに持ち込めたのかもしれませんね(^^;
(長くなったので続きは項を改めます)
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コメント
投稿者:kimura 2007/5/9 22:28
pasinさん、このテーマ、更新お待ちしておりました(笑)。
まず断らせていただきますが、私、この本を読んでおりません。
この本の著者(私はお会いしたことがあります)とのプロレスに対する基本的スタンスの違いと言ってしまえばそれだけになってしまいますが、プロレスというのはスタンスを決めて見てしまうとおそろしく単純にしか捉えられないものであるということ、真実は幾重にも折り重なっており証言だけで本質を捉えるのは困難であること、の2点から、この本に限らず私はいわゆるプロレス論(第三者によるノンフィクションも、ある見方に立って書かれたものであるという意味でプロレス論)を読まないことにしています。
したがって、お気づきかと思いますが、私はプロレスに関して著述を行う場合、インタビュアーもしくは本人の証言を構成する編集者に徹しております。
もちろん、本人の言葉がすべて真実だなどとは思っておりません。ただ、立場によっていかようにも変化する証言より、虚実ないまぜであっても本人の言葉の方が一貫性があるだけ真実を多く含んでいると思っているのです。
アントニオ猪木が贋ものの英雄かどうかはその後の格闘技の歴史を見れば判断のつくこと。もっとも、それを嘘から出た真実(まこと)と決めつけてしまえば実も蓋もありませんが。いずれにせよ、アントニオ猪木という存在をスポーツノンフィションの手法で語るのは、切り口それ自体は面白くても、必ずしも真実に近づく最良の方法とは思えません。
投稿者:kimura 2007/5/9 22:30
(つづき)
猪木・アリ戦が歪んだ闘いになったのは、それを呑んだアリが偉大なのではなく、アリが偉大なボクサーだったから招いた結果だと私は思っています。
ボクシングヘビー級王者のステイタスとモハメド・アリのネームバリューは、当時、現在では想像もつかない価値を有していました。その両方を持つアリは、猪木を怖れたというより、己の偉大さを守るためにボクシング(により近い)ルールにこだわった。アリはあくまでボクサーとしてリングに上がろうとしただけであり、プロレスラーがそれに従うのは当然と考えていたに過ぎなかったのではないでしょうか。
私見から結論を述べさせていただくなら、あの試合は、どんな形であれ試合を成立させた両者が偉大なのであって、それがプロボクシングにとって、プロレスにとって、ひいては格闘技にとって幸運をもたらしたと、そう見るのが正しい歴史的認識だと思います。
投稿者:pasin 2007/5/10 0:28
kimuraさん、こんばんは。
ちょっと私の引用がまずかったかもしれませんが、この著者はプロレス、アントニオ猪木を貶めるような書き方もしてますが、猪木の天才性、シュートの実力は認めているんですね。唯一”ジャンル”を作ったレスラーとして功績も称えています。
貶めたり、絶賛したりと、この方、かなり屈折した猪木ファンという印象を持ちました(^^;
なんせ3年以上掛けて、パキスタン、韓国、アメリカと自腹で取材を続けてこの本を書き上げたらしいです。
>本人の証言
一応、本の主旨を明記した上で猪木へのインタビューを試みたそうですが、謝礼を理由に断られたそうです。
「プロレス=フェイク」前提に取材申し込みをして猪木さんが受けるわけ無いんですが(^^;
アリ戦以外の部分の感想に関しては後日書きます。
面白い本であること、単なる暴露本とは一線を画した上質の
ノンフィクションであることは間違いないです。
題材の面白さもさることながら、高い文章力のお陰で
一気に一晩で読みきってしまいました。
なのに読後感じる釈然としない感じ。
これはアリ戦に関する一連の記述が私の認識とかなり違って
いることに他なりません。
まず、この本では基本的なスタンスとして
「プロレス<格闘技(ボクシング、柔道etc)」、
「プロレス=道化」というものが根底にあるようで、
アリ戦に関しても徹底してそのスタンスで書かれています。
曰く「アリが真の闘いの中で数々の奇跡を行ってきたのに
対して、猪木はあらかじめ勝敗が決められた偽物の戦いの
中で幻想を生み出したに過ぎないのだ」
「アリは自分を罠にはめた猪木を正々堂々と叩きのめすこと
を決意した。きちんとしたルールの下にスポーツとして
戦おうと覚悟を決めた」
「アリはプロレスのバカバカしさが大好きなのだ」・・・
流石にちょっと言い過ぎだろ(^^;
また著者はアリ戦のルールは両者にとって“公平なルール”
だと“利害関係によって証言をコロコロ変える”新間氏の証言を元にぶち上げています。
ゆえにアリは騙まし討ちのリアルファイトを正々堂々と戦った
真に偉大なファイターと結論付けていますが果たしてそうなんでしょうか?
当時の6/24付東スポ(他のスポーツ紙は謎)では
「頭突き、肘打ち、膝蹴り禁止」
「後頭部、頚椎への攻撃禁止」
「膝を着いた状態以外での蹴りの禁止」
「ロープに触れた時点でロープブレイク」
等の変更点について論じています。
上記が正しいとすると本当に公正なルールなんでしょうか?
確かにレスラーの主武器であるタックルは許されていますが、
ロープブレイクのあるルールでは有利な体勢に入る前に
逃げられる可能性が極めて高いと思われます。
現にこの試合でアリはかなりの頻度でロープを背にしてます。
また13ラウンドでアリは猪木のタックルに対し、
ジャブをカウンターで合わす事に成功しています。
猪木のタックル技術が未熟だからと片付けることは簡単ですが、
アリほどのボクサーなら、藤田のタックルにもカウンターを
合わす事は可能であったかもしれません。
逆に言うと猪木はタックルが下手だった?から
結果的に引き分けに持ち込めたのかもしれませんね(^^;
(長くなったので続きは項を改めます)
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コメント
投稿者:kimura 2007/5/9 22:28
pasinさん、このテーマ、更新お待ちしておりました(笑)。
まず断らせていただきますが、私、この本を読んでおりません。
この本の著者(私はお会いしたことがあります)とのプロレスに対する基本的スタンスの違いと言ってしまえばそれだけになってしまいますが、プロレスというのはスタンスを決めて見てしまうとおそろしく単純にしか捉えられないものであるということ、真実は幾重にも折り重なっており証言だけで本質を捉えるのは困難であること、の2点から、この本に限らず私はいわゆるプロレス論(第三者によるノンフィクションも、ある見方に立って書かれたものであるという意味でプロレス論)を読まないことにしています。
したがって、お気づきかと思いますが、私はプロレスに関して著述を行う場合、インタビュアーもしくは本人の証言を構成する編集者に徹しております。
もちろん、本人の言葉がすべて真実だなどとは思っておりません。ただ、立場によっていかようにも変化する証言より、虚実ないまぜであっても本人の言葉の方が一貫性があるだけ真実を多く含んでいると思っているのです。
アントニオ猪木が贋ものの英雄かどうかはその後の格闘技の歴史を見れば判断のつくこと。もっとも、それを嘘から出た真実(まこと)と決めつけてしまえば実も蓋もありませんが。いずれにせよ、アントニオ猪木という存在をスポーツノンフィションの手法で語るのは、切り口それ自体は面白くても、必ずしも真実に近づく最良の方法とは思えません。
投稿者:kimura 2007/5/9 22:30
(つづき)
猪木・アリ戦が歪んだ闘いになったのは、それを呑んだアリが偉大なのではなく、アリが偉大なボクサーだったから招いた結果だと私は思っています。
ボクシングヘビー級王者のステイタスとモハメド・アリのネームバリューは、当時、現在では想像もつかない価値を有していました。その両方を持つアリは、猪木を怖れたというより、己の偉大さを守るためにボクシング(により近い)ルールにこだわった。アリはあくまでボクサーとしてリングに上がろうとしただけであり、プロレスラーがそれに従うのは当然と考えていたに過ぎなかったのではないでしょうか。
私見から結論を述べさせていただくなら、あの試合は、どんな形であれ試合を成立させた両者が偉大なのであって、それがプロボクシングにとって、プロレスにとって、ひいては格闘技にとって幸運をもたらしたと、そう見るのが正しい歴史的認識だと思います。
投稿者:pasin 2007/5/10 0:28
kimuraさん、こんばんは。
ちょっと私の引用がまずかったかもしれませんが、この著者はプロレス、アントニオ猪木を貶めるような書き方もしてますが、猪木の天才性、シュートの実力は認めているんですね。唯一”ジャンル”を作ったレスラーとして功績も称えています。
貶めたり、絶賛したりと、この方、かなり屈折した猪木ファンという印象を持ちました(^^;
なんせ3年以上掛けて、パキスタン、韓国、アメリカと自腹で取材を続けてこの本を書き上げたらしいです。
>本人の証言
一応、本の主旨を明記した上で猪木へのインタビューを試みたそうですが、謝礼を理由に断られたそうです。
「プロレス=フェイク」前提に取材申し込みをして猪木さんが受けるわけ無いんですが(^^;
アリ戦以外の部分の感想に関しては後日書きます。
by pasinpasin
| 2007-05-07 21:53
| 格闘技・プロレス
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