2007年 05月 11日
日プロ時代の猪木① |
GW中にDVDの「闘魂伝説」と「日本プロレス戦記」を見た。
時系列で見ていくとA猪木の体型の変化とレスリングの変化がリンクしていて、非常に興味深かったです。
<闘魂伝説~若獅子 新時代への咆哮~>
○猪木&吉村組×バロンシクルナ&ビクターリベラ組(1967.12.6)
おそらく現存する最古のA猪木の試合ビデオだと思います。
この頃のA猪木は黄色いタイツにしなやかさの無いずんぐりした体型。
試合の方もほとんど大技無し、殴る蹴る&反則技、最後は場外乱闘で両者リングアウトという凡戦。
対戦相手がショッパイせいもあるでしょうが、流れるようなマット捌きだった昭和50年代の猪木を見慣れているとここでのドン臭さに驚きます。
この時点ではあまり光るものが無く、普通の若手レスラーにしか見えない。
当時のG馬場の試合もビデオで見たことがありますが、エースの風格に溢れたダイナミックな試合運びでした。やはりこの時点でのBIの差は相当大きなものだったんだなと実感しました。
○猪木×クリスマルコフ ワールドリーグ優勝戦(1969.5.16)
猪木が馬場に並んだ試合として伝説の試合ですが、これもかなりショッパイ。
マルコフという選手がいかにも前時代的なステロタイプのヒールでして、TJシンのような狂気も無ければ、ブルーザーのような凄みもありません。
殴る蹴るに栓抜き攻撃、出す技はキチンシンクとニードロップだけですから(^^;
猪木のほうも時折パンチキックで反撃するものの、あとはやられっぱなしという典型的なベビーフェイススタイル。
体型の方は67年の頃より筋肉質になってきてますが、相変わらずずんぐりしていて、マット捌きも華麗とは程遠いですね。
正直、歴史的価値以外見出せない試合でした。
○猪木×デストロイヤー ワールドリーグ決勝トーナメント(1971.5.19)
門茂男の著作によると、馬場・猪木の直接対決を阻止する為、馬場派の首脳陣がデストロイアーにシュートを依頼したといういわくつきの試合だったのですが・・・
見てみると門氏が書いていたようなシュートマッチでは無く、至って普通の試合でした(^^;
とはいえお互いの得意技を執拗に封じあう「硬い」試合内容で、地味ながら味のある好試合となっています。
マルコフ戦から二年経過して、猪木のルックスもだいぶ変わってきており、かなりしなやかさを感じる体型に変わってきてます。
マット捌きもかなり洗練されてきており、やはり66年頃から受けはじめたゴッチのコーチングが実を結んできていることが伺われます。
対するデストロイアーも流石の試合巧者ぶり。
アマレスの基礎がしっかりした選手だけに、テイクダウンやグラウンドコントロールの巧さは古のプロレスラーの凄みを感じさせます。
やっぱり昔はこういうレスラーがゴロゴロ居たんですよねえ。
(「日本プロレス戦記」編へ続く)
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コメント
投稿者:kimura 2007/5/16 9:15
若獅子と呼ばれていた頃のアントニオ猪木は、おっしゃる通りずんぐり体型でしたね。これは私の持論ですが、おそらく、あの体型は当時の日本プロレスにおけるガチンコレスラーの典型だったのではないでしょうか。
猪木さんも証言していますが、たとえば故・大木金太郎選手は意外にも日プロで有数のグラウンドの使い手だったそうです。後の猪木・大木戦を見る限り、猪木のグラウンドテクニックに翻弄される大木選手からはそんな印象はほとんど受けませんが、それはシュートの概念自体が今とは随分違っていたからなのだと思います。
日プロ時代のグラウンドは、とにかく相手を組み敷いて自由を奪うこと。そもそも動けない状態に固めれば勝ちというのはレスリングや柔道の基本ですし、とくに日プロに少なくなかった大相撲出身の選手の立場にしてみれば寝かされて自由を奪われることはこのうえない屈辱であったろうことは容易に想像がつきます。
よって、あの時代の日プロで強さを追求すれば、とりもなおさず上半身の大きなずんぐりした体型になるのが必然。ゴッチに師事することで合理的な体の使い方と押さえ込んだ先にある技術の存在を知ったアントニオ猪木の体型の変化もまた、次の段階の結果としては自然だったのだと思います。
猪木のテクニシャンぶりがクローズアップされるきっかけは、ドリーファンクJr.やジャック・ブリスコといった当時の米国マットに出現した『理詰めの科学的レスリング』の使い手との対戦でした。彼らのようなテクニシャンが米国でトップになってくれたおかげで、アントニオ猪木はようやくG馬場とは異なる自分のカラーを打ち出せるようになり、それが先鋭化してストロングスタイルが生まれた。ストロングスタイルは米国マットの流れと逆を行っていたように見えて、実はそうではなかった。ただ、ドリー以降、ボブ・バックランドの出現まで米国ではその流れが停止しており、そこに新日本プロレスの存在意義があったに違いありません。
投稿者:pasin 2007/5/18 11:05
なるほど。ポイントは押さえ込みですか。
確かに日プロ時代のセメントは押さえ込んで腕もしくは首を決める事がメインとなにかで読んだ記憶があります。
足関節とかフェースロックなんかは無かったらしいですね。
当時セメントに強いとされていた上田馬の助もフィニッシュはもっぱら腕絡みだったとか。
ただ今の総合を通過した目で見ると、関節技の多彩さとキックに頼っていたUWFのレスラーより、日プロ時代のガチンコレスラーの方が向いていたんじゃないかと思ったりもします。
どうもUのレスラーはグラウンド=関節技って感じで前段の「押さえ込む」「相手の自由を奪う」といった技術の追求が疎かだったように見えるんですよね。
圧倒的な体格を誇る前田は別とすると高田、山崎辺りはどうなんだろうな、と思います。
猪木さんが高田がヒクソンに負けたとき「一番弱いやつ云々」と語っていましたが、案外本音だったのかもしれません。
時系列で見ていくとA猪木の体型の変化とレスリングの変化がリンクしていて、非常に興味深かったです。
<闘魂伝説~若獅子 新時代への咆哮~>
○猪木&吉村組×バロンシクルナ&ビクターリベラ組(1967.12.6)
おそらく現存する最古のA猪木の試合ビデオだと思います。
この頃のA猪木は黄色いタイツにしなやかさの無いずんぐりした体型。
試合の方もほとんど大技無し、殴る蹴る&反則技、最後は場外乱闘で両者リングアウトという凡戦。
対戦相手がショッパイせいもあるでしょうが、流れるようなマット捌きだった昭和50年代の猪木を見慣れているとここでのドン臭さに驚きます。
この時点ではあまり光るものが無く、普通の若手レスラーにしか見えない。
当時のG馬場の試合もビデオで見たことがありますが、エースの風格に溢れたダイナミックな試合運びでした。やはりこの時点でのBIの差は相当大きなものだったんだなと実感しました。
○猪木×クリスマルコフ ワールドリーグ優勝戦(1969.5.16)
猪木が馬場に並んだ試合として伝説の試合ですが、これもかなりショッパイ。
マルコフという選手がいかにも前時代的なステロタイプのヒールでして、TJシンのような狂気も無ければ、ブルーザーのような凄みもありません。
殴る蹴るに栓抜き攻撃、出す技はキチンシンクとニードロップだけですから(^^;
猪木のほうも時折パンチキックで反撃するものの、あとはやられっぱなしという典型的なベビーフェイススタイル。
体型の方は67年の頃より筋肉質になってきてますが、相変わらずずんぐりしていて、マット捌きも華麗とは程遠いですね。
正直、歴史的価値以外見出せない試合でした。
○猪木×デストロイヤー ワールドリーグ決勝トーナメント(1971.5.19)
門茂男の著作によると、馬場・猪木の直接対決を阻止する為、馬場派の首脳陣がデストロイアーにシュートを依頼したといういわくつきの試合だったのですが・・・
見てみると門氏が書いていたようなシュートマッチでは無く、至って普通の試合でした(^^;
とはいえお互いの得意技を執拗に封じあう「硬い」試合内容で、地味ながら味のある好試合となっています。
マルコフ戦から二年経過して、猪木のルックスもだいぶ変わってきており、かなりしなやかさを感じる体型に変わってきてます。
マット捌きもかなり洗練されてきており、やはり66年頃から受けはじめたゴッチのコーチングが実を結んできていることが伺われます。
対するデストロイアーも流石の試合巧者ぶり。
アマレスの基礎がしっかりした選手だけに、テイクダウンやグラウンドコントロールの巧さは古のプロレスラーの凄みを感じさせます。
やっぱり昔はこういうレスラーがゴロゴロ居たんですよねえ。
(「日本プロレス戦記」編へ続く)
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コメント
投稿者:kimura 2007/5/16 9:15
若獅子と呼ばれていた頃のアントニオ猪木は、おっしゃる通りずんぐり体型でしたね。これは私の持論ですが、おそらく、あの体型は当時の日本プロレスにおけるガチンコレスラーの典型だったのではないでしょうか。
猪木さんも証言していますが、たとえば故・大木金太郎選手は意外にも日プロで有数のグラウンドの使い手だったそうです。後の猪木・大木戦を見る限り、猪木のグラウンドテクニックに翻弄される大木選手からはそんな印象はほとんど受けませんが、それはシュートの概念自体が今とは随分違っていたからなのだと思います。
日プロ時代のグラウンドは、とにかく相手を組み敷いて自由を奪うこと。そもそも動けない状態に固めれば勝ちというのはレスリングや柔道の基本ですし、とくに日プロに少なくなかった大相撲出身の選手の立場にしてみれば寝かされて自由を奪われることはこのうえない屈辱であったろうことは容易に想像がつきます。
よって、あの時代の日プロで強さを追求すれば、とりもなおさず上半身の大きなずんぐりした体型になるのが必然。ゴッチに師事することで合理的な体の使い方と押さえ込んだ先にある技術の存在を知ったアントニオ猪木の体型の変化もまた、次の段階の結果としては自然だったのだと思います。
猪木のテクニシャンぶりがクローズアップされるきっかけは、ドリーファンクJr.やジャック・ブリスコといった当時の米国マットに出現した『理詰めの科学的レスリング』の使い手との対戦でした。彼らのようなテクニシャンが米国でトップになってくれたおかげで、アントニオ猪木はようやくG馬場とは異なる自分のカラーを打ち出せるようになり、それが先鋭化してストロングスタイルが生まれた。ストロングスタイルは米国マットの流れと逆を行っていたように見えて、実はそうではなかった。ただ、ドリー以降、ボブ・バックランドの出現まで米国ではその流れが停止しており、そこに新日本プロレスの存在意義があったに違いありません。
投稿者:pasin 2007/5/18 11:05
なるほど。ポイントは押さえ込みですか。
確かに日プロ時代のセメントは押さえ込んで腕もしくは首を決める事がメインとなにかで読んだ記憶があります。
足関節とかフェースロックなんかは無かったらしいですね。
当時セメントに強いとされていた上田馬の助もフィニッシュはもっぱら腕絡みだったとか。
ただ今の総合を通過した目で見ると、関節技の多彩さとキックに頼っていたUWFのレスラーより、日プロ時代のガチンコレスラーの方が向いていたんじゃないかと思ったりもします。
どうもUのレスラーはグラウンド=関節技って感じで前段の「押さえ込む」「相手の自由を奪う」といった技術の追求が疎かだったように見えるんですよね。
圧倒的な体格を誇る前田は別とすると高田、山崎辺りはどうなんだろうな、と思います。
猪木さんが高田がヒクソンに負けたとき「一番弱いやつ云々」と語っていましたが、案外本音だったのかもしれません。
by pasinpasin
| 2007-05-11 21:56
| 格闘技・プロレス
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