2008年 02月 04日
怪獣映画=プロレス?その2 SM対談② |
M:UWFも一時爆発的な支持を受けたんだけど長続きしなかったんだよ。選手とフロントの内紛で3派に分裂しちゃってさ。ルールを厳しくして試合内容が堅苦しくなったりしてたし。
平成ガメラもストーリー面では煮詰まってたし、設定地獄に陥っていた感があったよな。スタッフ間の軋轢もあったしね。
S:特撮の方は平成ガメラシリーズが以降の特撮モノに与えた影響は大きかったけど、プロレスのほうでもそういう展開はあったのかい?
M:技の面で言えばキックと関節技を使う選手が増えたし、それまでのプロレスにあった不自然な流血とか不透明決着は激減したんだよ。あとイベント性の強いドーム興行もUWFの興行形態から派生したものだな。
S:なるほどね。怪獣映画は2000年代に入って衰退していったわけだけどプロレスのほうもリンクしてたの?
M:プロレスの場合、リアルファイトの総合格闘技が90年代半ばに登場したのが大きいな。これによってまず真剣勝負風のUWFの分派がダメージを受けたんだ。普通のプロレス団体も最初のうちは無視を決め込んでいたけど、総合格闘技が大きくなるにつれ無視できなくなってきた。
S:総合格闘技は特撮で言うと何に当たるんだ?
M:解釈が難しいし、時代は前後しちゃうけどハリウッドのSFX映画に当たるんじゃないかな。なんといっても「ジュラシックパーク」の衝撃は大きかったでしょ。
S:ちょうど「ゴジラvsメカゴジラ」の頃だな。あの映像のギャップには悲しくなったもんな。金と時間をかけたハリウッドには逆立ちしてもかなわないって思ったよ。
M:結果、資本面ではかなわないから、俺らみたいなオタクをターゲットにするしか無くなったのがミレニアムシリーズじゃないかな。それでも復活一発目の「2000ミレニアム」はハリウッド何するものぞって意気込みがあったんだけど、結果映像的にも内容的にも惨敗だったわけで・・・。これはプロレスで言うとプロレスラーが総合格闘技にチャレンジして惨敗していった経過と似てるな。
S:ミレニアムも当時はトラゴジよりマシって声が多かったけど、今、冷静に見るとゴジラの設定はともかく映像的には惨敗だもんね。
M:で、「強さ」という幻想を失ったプロレスがどうしたかというと「エンターテイメント」に逃げ込んだんだよ。お互いの協力という部分を強化して、より一層大技連発に頼ったスタイルになったんだ。専門誌を買うようなマニアに受ければ良い、会場のファンに媚びたスタイルが今のプロレスの主流だね。
S:つまりそれがゴジラでいうとミレニアムシリーズか。確かにカメーバ出したり、往年の特撮俳優の顔見せがあったり、ゴジラの骨でメカゴジラ作ったりとマニア受け狙いが鼻についたな。結果、尻すぼみに興行成績は落ち込んだし。
M:プロレス界に話を戻すと、どうせエンターテイメントに振るならと突き抜けちゃったのが「ハッスル」だ。芸能人から往年の名レスラーまで際限なくリングに上げて、決められたストーリーラインに沿ってプロレスするという路線。
これはゴジラで言うとちょっと中途半端だけどGFWになるのかな。
S:エンターテイメントに振ったちょっと滅茶苦茶な展開。ジャニーズ系を主役にして、脇をテレビで良く見る役者と異色のキャストで固める、往年の名怪獣が一堂に会するという点で似てるかもね。
なるほど、プロレスと怪獣映画の相似性については良くわかったけど、じゃあ今後どうすれば良いんだい?
M:それがプロレスの方は有効な方向性が見つからないんだよね。プロレスラーが総合格闘技に出て行って大物に勝てば「強さ」の信用を取り戻せるって楽観的な意見もあるけど、ここまで裏がバレていたらそういうもんでもないだろうし。
かといってハッスル路線が主流になるとも思えないんだよな・・・
S:怪獣映画の方も難しいよな。今や怪獣と聞いただけで10代、20代の層は逃げちゃうもん。かといってオタク向けじゃミレニアムシリーズのように制作費回収がやっとだろうし・・・
M:でも俺は怪獣映画の方はまだ立ち直る余地があると思うんだよ。
少し間を空けて、ハリウッド並みの映像を作れれば、まだ可能性はあるかもよ。
可能性が見えるだけプロレスよりマシだよ(笑)
S:でも「ハリウッド並みの映像」ってそこに大きな無理がないか?
M: ・・・・
平成ガメラもストーリー面では煮詰まってたし、設定地獄に陥っていた感があったよな。スタッフ間の軋轢もあったしね。
S:特撮の方は平成ガメラシリーズが以降の特撮モノに与えた影響は大きかったけど、プロレスのほうでもそういう展開はあったのかい?
M:技の面で言えばキックと関節技を使う選手が増えたし、それまでのプロレスにあった不自然な流血とか不透明決着は激減したんだよ。あとイベント性の強いドーム興行もUWFの興行形態から派生したものだな。
S:なるほどね。怪獣映画は2000年代に入って衰退していったわけだけどプロレスのほうもリンクしてたの?
M:プロレスの場合、リアルファイトの総合格闘技が90年代半ばに登場したのが大きいな。これによってまず真剣勝負風のUWFの分派がダメージを受けたんだ。普通のプロレス団体も最初のうちは無視を決め込んでいたけど、総合格闘技が大きくなるにつれ無視できなくなってきた。
S:総合格闘技は特撮で言うと何に当たるんだ?
M:解釈が難しいし、時代は前後しちゃうけどハリウッドのSFX映画に当たるんじゃないかな。なんといっても「ジュラシックパーク」の衝撃は大きかったでしょ。
S:ちょうど「ゴジラvsメカゴジラ」の頃だな。あの映像のギャップには悲しくなったもんな。金と時間をかけたハリウッドには逆立ちしてもかなわないって思ったよ。
M:結果、資本面ではかなわないから、俺らみたいなオタクをターゲットにするしか無くなったのがミレニアムシリーズじゃないかな。それでも復活一発目の「2000ミレニアム」はハリウッド何するものぞって意気込みがあったんだけど、結果映像的にも内容的にも惨敗だったわけで・・・。これはプロレスで言うとプロレスラーが総合格闘技にチャレンジして惨敗していった経過と似てるな。
S:ミレニアムも当時はトラゴジよりマシって声が多かったけど、今、冷静に見るとゴジラの設定はともかく映像的には惨敗だもんね。
M:で、「強さ」という幻想を失ったプロレスがどうしたかというと「エンターテイメント」に逃げ込んだんだよ。お互いの協力という部分を強化して、より一層大技連発に頼ったスタイルになったんだ。専門誌を買うようなマニアに受ければ良い、会場のファンに媚びたスタイルが今のプロレスの主流だね。
S:つまりそれがゴジラでいうとミレニアムシリーズか。確かにカメーバ出したり、往年の特撮俳優の顔見せがあったり、ゴジラの骨でメカゴジラ作ったりとマニア受け狙いが鼻についたな。結果、尻すぼみに興行成績は落ち込んだし。
M:プロレス界に話を戻すと、どうせエンターテイメントに振るならと突き抜けちゃったのが「ハッスル」だ。芸能人から往年の名レスラーまで際限なくリングに上げて、決められたストーリーラインに沿ってプロレスするという路線。
これはゴジラで言うとちょっと中途半端だけどGFWになるのかな。
S:エンターテイメントに振ったちょっと滅茶苦茶な展開。ジャニーズ系を主役にして、脇をテレビで良く見る役者と異色のキャストで固める、往年の名怪獣が一堂に会するという点で似てるかもね。
なるほど、プロレスと怪獣映画の相似性については良くわかったけど、じゃあ今後どうすれば良いんだい?
M:それがプロレスの方は有効な方向性が見つからないんだよね。プロレスラーが総合格闘技に出て行って大物に勝てば「強さ」の信用を取り戻せるって楽観的な意見もあるけど、ここまで裏がバレていたらそういうもんでもないだろうし。
かといってハッスル路線が主流になるとも思えないんだよな・・・
S:怪獣映画の方も難しいよな。今や怪獣と聞いただけで10代、20代の層は逃げちゃうもん。かといってオタク向けじゃミレニアムシリーズのように制作費回収がやっとだろうし・・・
M:でも俺は怪獣映画の方はまだ立ち直る余地があると思うんだよ。
少し間を空けて、ハリウッド並みの映像を作れれば、まだ可能性はあるかもよ。
可能性が見えるだけプロレスよりマシだよ(笑)
S:でも「ハリウッド並みの映像」ってそこに大きな無理がないか?
M: ・・・・
by pasinpasin
| 2008-02-04 17:45
| SM対談
|
Comments(5)
↓から続きます。
プロレスは力道山の代で当初の神事としての役割は終えてしまっていたのだと思います。馬場プロレスはその存在からして神事としての匂いを色濃く残していましたが、それを時代感覚を優先したアメリカンナイズされた猪木プロレスが否定したところから混迷が始まった(アメリカンナイズとはプロレスのスタイルに非ず。思想的な意味です)。世間の価値観からは別の次元にあったプロレスにスポーツや格闘技の概念=リアルさを取り入れてしまったことで、プロレスは他のスポーツや娯楽のジャンルと比較されない自由を失ってしまった。『プロレスはジャンルの鬼っ子』とは村松友視先生のおっしゃる通りで、怪獣映画もそれは同じ。怪獣映画は怪獣映画として存在すべきジャンルだったのではないでしょうか。
日本人はあらゆるジャンルにおいて、ことリアルさの追求では西洋人に敵わないような気がします。それは能力の差ではなく、そもそも感受性が違う。プロレスや怪獣映画に復活の可能性が残されているとすれば、ヒントはそのあたりにあるような気がします。
プロレスは力道山の代で当初の神事としての役割は終えてしまっていたのだと思います。馬場プロレスはその存在からして神事としての匂いを色濃く残していましたが、それを時代感覚を優先したアメリカンナイズされた猪木プロレスが否定したところから混迷が始まった(アメリカンナイズとはプロレスのスタイルに非ず。思想的な意味です)。世間の価値観からは別の次元にあったプロレスにスポーツや格闘技の概念=リアルさを取り入れてしまったことで、プロレスは他のスポーツや娯楽のジャンルと比較されない自由を失ってしまった。『プロレスはジャンルの鬼っ子』とは村松友視先生のおっしゃる通りで、怪獣映画もそれは同じ。怪獣映画は怪獣映画として存在すべきジャンルだったのではないでしょうか。
日本人はあらゆるジャンルにおいて、ことリアルさの追求では西洋人に敵わないような気がします。それは能力の差ではなく、そもそも感受性が違う。プロレスや怪獣映画に復活の可能性が残されているとすれば、ヒントはそのあたりにあるような気がします。
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>leicacontaxさん
なるほど。歌舞伎との関連性ですか。そういえば和製怪獣映画に日本の伝統芸能の影響が色濃いことはかつての研究本でも指摘されていました。ゴジラは必ず上手から現れるとか。
プロレスと怪獣映画が駄目になったのは欧米化が進んで、伝統芸能が日常から疎遠になったことと関係あるかもしれませんね。
今の若い人達ってリアルかフェイクかの二元論しか無い気がします。
なるほど。歌舞伎との関連性ですか。そういえば和製怪獣映画に日本の伝統芸能の影響が色濃いことはかつての研究本でも指摘されていました。ゴジラは必ず上手から現れるとか。
プロレスと怪獣映画が駄目になったのは欧米化が進んで、伝統芸能が日常から疎遠になったことと関係あるかもしれませんね。
今の若い人達ってリアルかフェイクかの二元論しか無い気がします。
おはようございます、pasinさん。
しつこいようですが、もう少し語らせてください(笑)。
怪獣映画というのは、裏返せば、さまざまな歌舞伎的手法をもっとも巧妙に映像化した表現と言い換えることもできます。御存知かと思いますが、着ぐるみ、衣装やメイクのデフォルメ、ゴジラ独特の見得、シネマスコープの極端に横長の画面の中の構図(歌舞伎の舞台もスクリーンに見立てればまるでシネスコ)、屋台崩しといわれる舞台上の建物が崩れ落ちる大仕掛け等々、怪獣映画の特徴には歌舞伎からの引用と思われる要素が多々見受けられます。
私がとくに面白いと思っているのは、歌舞伎の小道具へのこだわり。歌舞伎というのはおかしなもので、筋立ても役者の演技も決してリアルではないというのに、小道具の精緻さにかけては映画も顔負けの場合があり、むしろリアリズムを基本にしている西洋演劇の方が案外舞台装置や小道具は無頓着なくらいシンプルといえます。一方、西洋の舞台芸術でも歌劇というリアルでない表現形式を取っているオペラになると逆に舞台装置、衣装、小道具のすべてが絢爛豪華。実に歌舞伎的なのです。
これって怪獣映画そのものだと思いませんか?
(つづく)
しつこいようですが、もう少し語らせてください(笑)。
怪獣映画というのは、裏返せば、さまざまな歌舞伎的手法をもっとも巧妙に映像化した表現と言い換えることもできます。御存知かと思いますが、着ぐるみ、衣装やメイクのデフォルメ、ゴジラ独特の見得、シネマスコープの極端に横長の画面の中の構図(歌舞伎の舞台もスクリーンに見立てればまるでシネスコ)、屋台崩しといわれる舞台上の建物が崩れ落ちる大仕掛け等々、怪獣映画の特徴には歌舞伎からの引用と思われる要素が多々見受けられます。
私がとくに面白いと思っているのは、歌舞伎の小道具へのこだわり。歌舞伎というのはおかしなもので、筋立ても役者の演技も決してリアルではないというのに、小道具の精緻さにかけては映画も顔負けの場合があり、むしろリアリズムを基本にしている西洋演劇の方が案外舞台装置や小道具は無頓着なくらいシンプルといえます。一方、西洋の舞台芸術でも歌劇というリアルでない表現形式を取っているオペラになると逆に舞台装置、衣装、小道具のすべてが絢爛豪華。実に歌舞伎的なのです。
これって怪獣映画そのものだと思いませんか?
(つづく)
(つづき)
作り手も観客も現実にはない世界だと理解した上で表現を楽しみながら、無意識にどこかに本物(リアル)を探している。そして細部にそれを見つけると一瞬安心してその世界へ没頭する。夢だと醒めながら夢に酔い痴れる感覚。この見方は単純なようで複雑で、おそらく、最初からすべての事象が画面上にクリアに存在するCG画像で育った世代には理解し難いのではないでしょうか。
まわりくどい言い方になりましたが、プロレスと格闘技もこれと同じ。すべての技術やルールが明らかでクリアな格闘技に比べればプロレスは不完全の塊。ものによっては事実、見るに堪えない粗悪な偽物もあります。しかし、といって、私はどうしてもどんなにリアルに見えても実体のないCGのように、クリアに見え過ぎるものにも何か大きな欠落があるように思えてなりません。プロレスとはルールに収まりきらない何かを許容することで強さを表現してきたわけですから、あらかじめ何かを排除したルールの上に存在する格闘技より、本来、あらゆる意味で底なしのはずなのです。
作り手も観客も現実にはない世界だと理解した上で表現を楽しみながら、無意識にどこかに本物(リアル)を探している。そして細部にそれを見つけると一瞬安心してその世界へ没頭する。夢だと醒めながら夢に酔い痴れる感覚。この見方は単純なようで複雑で、おそらく、最初からすべての事象が画面上にクリアに存在するCG画像で育った世代には理解し難いのではないでしょうか。
まわりくどい言い方になりましたが、プロレスと格闘技もこれと同じ。すべての技術やルールが明らかでクリアな格闘技に比べればプロレスは不完全の塊。ものによっては事実、見るに堪えない粗悪な偽物もあります。しかし、といって、私はどうしてもどんなにリアルに見えても実体のないCGのように、クリアに見え過ぎるものにも何か大きな欠落があるように思えてなりません。プロレスとはルールに収まりきらない何かを許容することで強さを表現してきたわけですから、あらかじめ何かを排除したルールの上に存在する格闘技より、本来、あらゆる意味で底なしのはずなのです。
>leicacontaxさん
歌舞伎とは奥深いものなんですね。ここまで本質的な部分で影響、共通点があるとは思いもよりませんでした。
私は歌舞伎も含めた舞台演劇には全く興味が無かったんですが、木村さんのお話を伺って本気で見に行きたくなってきました。
>クリアに見え過ぎるものにも何か大きな欠落がある
最近のプロレスはスポーツライク、エンタメというクリアな世界に逃げ込んでプロレス本来の魅力である”グレーゾーン”をレスラーもファンも放棄してしまっているように思えてなりません。
歌舞伎とは奥深いものなんですね。ここまで本質的な部分で影響、共通点があるとは思いもよりませんでした。
私は歌舞伎も含めた舞台演劇には全く興味が無かったんですが、木村さんのお話を伺って本気で見に行きたくなってきました。
>クリアに見え過ぎるものにも何か大きな欠落がある
最近のプロレスはスポーツライク、エンタメというクリアな世界に逃げ込んでプロレス本来の魅力である”グレーゾーン”をレスラーもファンも放棄してしまっているように思えてなりません。
