プロレスは滅亡するのか |
この記事↓を読んで非常に考えさせられました。
「プロレスは間違いなく滅亡します」
(冒頭の一部を引用させて頂きます)
今のプロレスには非言語コミニュケーションの世界は無い。
今のプロレスファンには行間に込めた意味を読み取る能力は必要ない。
全て言語のみのチャンネルで成り立っている世界であるからだ。
その言語はとうとう絵文字付きでなければ、成り立たない世界と成ってしまった。
とにかく実際に目に見える事柄でしか、激しさが伝わらない、あるいは読み取れないのないのなら、もうジャンルとして存続する意味は無いと私は思っている。
私は天龍源一郎は好きなレスラーである。
しかし天龍の「本当の痛みをもって」プロレスの激しさを伝えてきた功績が、歪に進化したのが、今のプロレスだ。
どこの世界に、技を受けてくれる相手に、本当に痛く危険な技を放たなければいけないのか?
かつて、プロレスが、商業ペースの試合数を維持する為に、自然と成立して来た、相手の身を守る職人芸の伝統の意味すら見失っているようだ。
かつて引退間際の猪木がベイダーの度を越えた攻撃を受け続けた試合がありました。
50過ぎたレスラーが加減の無い腕パンチ、受身の取りようが無い投げっぱなしジャーマン、
重力加速度を調整しないムーンサルトプレス等を受け続けたのです。
結果、バリバリ全盛期だった闘魂三銃士たちの試合を完全に食ってしまい、
その日のドーム興行で一番、お客を沸かせた試合となりました。
何故あの時猪木は普段と全く違うあんな試合を演じたのか。
それは当時新日の主流となりつつあったハードヒットプロレスに対する
アンチテーゼだったんじゃないかと思います。
”やる気になればジジイだってこういうプロレスは出来るんだぞ”
”このままエスカレートしていっていいのか?他に表現方法はあるんじゃないのか?”
という猪木の問い掛けがあんな試合をさせたんじゃないでしょうか。
しかし、結局その後プロレス界はどんどんハードヒットの方向に進化していきました。
shingolさんが警鐘を鳴らすように、このままいけばレスリングとは全く無縁な
危険で残酷なサーカスと成り下がるでしょう。
プロレスファンが何時までも、そんな試合でしか沸かないのであれば
レスラーは柔らかいマットで軽い脳震盪を繰り返し、
ダメージを蓄積することを止めないでしょう。
そのうち死人や廃人が続出、結果ハッスルみたいな形でしかプロレスは
残れないのかもしれません。
IGFの静かであっけない試合中継を見て、妙に懐かしさを感じた次第です。